クレイヴン・ザ・ハンター

聞くところによると、SONYが推し進めてきた「ソニー・スパイダーマンス・ユニバース」通称「SSU」計画は、この『クレイヴン・ザ・ハンター』をもって終了になるのだという。

その理由は言わずもがな。
『モービウス』『マダム・ウェブ』と、立て続けに興行的にも評論家筋の評価的にもコケたから。
『ヴェノム』が成功したことで「自分たちだけでもユニバースを完成できる」と勘違いしてしまったのだとも言われていて、要はスタジオ側の作品への介入が大きすぎたことが原因なのだろう。DCUの失敗と、まったく同じ構図。
ちなみに、そうしたスタジオ側とクリエイターの橋渡し的な役目として、DCはジェームズ・ガンをトップに据えることで、個々の立場からの発言が作品に与える影響を最小限に抑え、作品の一貫性を保つ施作を推進している。
言わずもがな、マーベルにはケビン・ファイギがトップに君臨している。
ただ、そんなSONY/コロンビアスタジオであっても、唯一正しいことをしたと思えるのは、これまで一度もそれらの作品中にスパイダーマンを登場させなかったこと。スパイダーマン・ユニバースなのに。

スパイダーマン:ノーウェイホーム』が大ヒットし、過去作のスパイダーマンを集合させるという、ある意味の離れ業をやってのけたことが成功の鍵であったことは間違いのないところ。この手法の手堅いところは『デッドプール&ウルヴァリン』でも証明されているわけですが、さすがのSONYであっても、ドル箱であるスパイダーマンの価値を下げるようなリスクは冒せなかったのだろう。っていうか、機が熟すのを待っていたら、いつまで経っても、その好機は訪れなかったといったところか。

というわけで、ヴェノムを含めた様々なスパイダーマンのキャラクターたちが共闘する姿は見られなくなってしまったのかもしれないが、だからこそ、個々のキャラクターの個性が引き立つような作品を作って欲しい。

というタイミングでの今作の公開だったのですが、結論から先に言うと、私は楽しめた。
マダム・ウェブも楽しめてしまった私なので、説得力は低いとは思う。
ただ、マダム・ウェブのダコタ・ジョンソンと同様に、クレイヴンを演じた、アーロン・テイラー=ジョンソンが、この原作自体が彼のアテ書きだったのではないか?と思えるほどに、描かれる世界観に完全マッチしていた。
素直にカッコいい。

SSU終了の事前情報があったおかげで、終劇後のポストクレジットシーンに期待することもなく、純粋に鑑賞できたことも良かったのかもしれない。
本家のMCUも迷走気味ではありますが、ユニバースを成功させることの難しさを理解することができた。
ユニバースの発想がなかったら、果たしてクレイヴンを主役に据えた単独作品が製作されたかどうかはかなり怪しいので、これを観られたのはまさに不幸中の幸いだったのかもしれない。

(オススメ度:70)

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