ボーはおそれている

『ミッドサマー』『ヘレディタリー 継承』のアリ・アスター監督とA24のタッグによる新作に『ジョーカー』のホアキン・フェニックスが主演と言われれば、観ないワケにはいかない。というのは半分ウソで、嫌な予感がして劇場には行かなかったのですが、早くもAmazonプライムに登場したので遠慮なく観させていただいた。
結論から言うようで恐縮ですが、残念ながら悪い予感は当たってしまった。
一説には今作は大赤字だったようで、A24は『シビル・ウォー』のヒットにかなり助けられたらしい。

大ヒットした『ミッドサマー』だってかなり難解な作品でしたが、アリ・アスター自身が『ボーはおそれている』を「実験的」と言うだけあり、全編を通して不可解な仕上がりとなっている。
物語が進むにつれ、実像なのか、虚像なのかの境目が曖昧になる作品は多いが、今作に関しては冒頭から虚像であることが示唆される。それでも歯を食いしばって「どこかで夢から醒めてくれ〜〜」と祈りながら観続けるものの、そんな淡い期待は、暴力的なほどに繰り返されるナンセンスと言ってもいい虚像によって叩きのめされる。
そんな作者と鑑賞者の“ズレ”は完全に放置されたまま3時間の上映時間は過ぎていってしまう。

それだけに、今作が描く核心を見つけたいと思い、目を凝らして見入ってはみたものの、私が気づく程度の「核心部」は、どれも決め手に欠ける印象で、もしそれがアリ・アスターの意図した核心だとしたらた、これはただの駄作だ。

『BEAU IS AFRAID』という原題が示すとおり、主人公のボーはずっと何かを恐れていて、それはボーを一人で育てた強過ぎる母親の存在であったり、ボーが母の子宮で誕生したその瞬間に命を落とした父親のことがトラウマで、セックス恐怖症になっていることだったりするのですが、それらによって炙り出されるアリ・アスターの「伝えたいこと」とは、一体どこにあるのか。

これはただの私の推論でしかないので、ネタバレでもなんでもないのですが、この物語はボーの死後の世界なのではなかろうか。
死後に人生の振り返りと、自身の選択の誤りによる他の人生の可能性について、ボーが検証し、最後に審判が下される。その物語だったのではなかろうか。それと分かるように作られていたら、それはそれでつまらなくなったようにも思える。あくまでも私としてはそう考えると諸々辻褄が合う。

そんなネジが2、3個外れている物語を、私が最後まで観られたことにこの作品を評価すべき点は隠されている。
中でもホアキン・フェニックスの演技は飛び抜けていると言わざるを得ない。
『ナポレオン』であのリドリー・スコットに「もう一緒に仕事をしたくない」と言わせるほど、演じるキャラクターに対する思い入れと妥協を許さない姿勢を貫いたと言われるホアキンですが、この脚本であれば好きなだけこだわることができたことだろう。
ちなみに、本日公開の『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』でもその執拗ぶりは遺憾なく発揮されているそうで、そうした役者魂が足枷になっているとの噂もあり。おかげさまでジョーカー2もかなりの問題作に仕上がっているようなので、劇場まで観に行くかどうかかなり迷っている。

ホアキンを除いて観てみても、伏線とその回収に近い“感触”だけは観る者に与えられるように巧妙に仕組まれていて、それをして映像体験と呼ぶのは難しいものの、映画の構造を組み立て直すという野望やら挑戦やらは強く感じることができた。
実験的とはそういうことを指しているのかもしれないし、そういう点は極めてA24的だと思わざるを得ない。

怖いもの見たさなあなたに(オススメ度:60)

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