Amazonプライムで久しぶりに劇場公開された時代劇を観た。
大河ドラマも観ているし、エミー賞を受賞し話題となった『SHOGUN』も観た。
毎年ある一定量は時代劇の映画が公開されているように思うけれど、だからこそそろそろネタ切れなのかもしれない。「これは」と思える作品に出会える確率は下がっているように思うのでこの『碁盤斬り』には期待したい。
時代劇にはカタというものがあって、良い時代劇ほどその型が守られていると思う。
中でも『たそがれ清平衛』から続く、頑固なほどに清廉潔白に生きる堅物の武士を描いた作品はテッパンだ。
協調性や柔軟性に欠ける堅物ゆえに出世からは程遠く、決まって貧乏暮らしをしていて、それでも自身の誇りを胸に慎ましやかに暮らしている姿は、日本人なら誰もが愛するところ。
かく言う私も大好きであります。
ただ、そうした時代劇もあまりに同じ筋書きをコスリ過ぎており、マンネリ化しているとも言える。
どんなに素晴らしい脚本であっても、新しいエンターテインメント性を付加できなければ、その可能性を感じさせることができなければ制作にGOサインは出されない。
といった裏側の苦労というかあの手この手の努力のようなものを、この『碁盤斬り』からは感じてしまいました。
冤罪で藩を追われた柳田格之進は、後になってから国に残した妻の最期を知る。
刀はすでに生活のために売り払い、小脇差だけを携え自らの過去と対峙し復讐に向かう話と、落ちぶれた今の暮らしの中で大金の絡む疑いをかけられてしまい、それを晴らす話の二つが同時並行しながら物語は展開するのですが、結局双方の物語が打ち消し合ってしまっているように見えてしまった。
個人的には復讐劇の方に重きを置いた展開にすれば良かったと思う。
何より、たとえ落ちぶれた貧乏浪人であっても、あれほどの人格者として描かれていたのに、勘違いで50両なんて大金を盗んだと思われてしまうところがどうにも腑に落ちない。
それと、娘を遊郭に入れてまでその50両を立てかえてしまうのも罪を認めるようでおかしいと思えるし、何より、妻の復讐のために娘を遊郭に行かせるなんてことをよしとするような人間では、そもそもないように思う。
大晦日までに50両を返済しないと娘は客前に出されてしまうという時限性が、後半の物語に緊迫感を持たせていることは分かるが、柳田格之進という浪人の設定、人格設定の辻褄が合っていないと思う。
まさか草彅剛を起用したのは柳田格之進をネジの緩んだサイコパスにしたかったからではないよな?
それ以外は映像美も展開のスピード感の良さもエンターテインメントととしてとても良くできていると思えたので、そうした主人公の人格形成のゆるさがとても残念。
あと、題名の由来にもなっているシーンは、さすがにあり得ないでしょ?
とかなんとか好き勝手言ってますが、自宅で配信を観る限りにおいては悪くない作品だと思います。
(オススメ度:Amazonで観るなら70)
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