
舞台は1932年のアメリカ南部、人種隔離と人種主義が色濃く残るミシシッピ州クラークスデール。
ここの出身で、隔離される側である黒人で双子のスモーク&スタック(マイケル・B・ジョーダンの一人二役)は、ギャングとしてシカゴで名を上げ7年ぶりに地元に凱旋した。
戻るや否や、彼らは古い製材所を買い取り、黒人向けのダンスホール「ジューク・ジョイント」をオープンすると宣言する。

昔ながらの馴染みの仲間や、親戚たちを巻き込みながら一夜にしてダンスホールをオープンさせると、迫害されていた同胞たちでたちまち店は満杯になってしまう盛況を博した。

そこに3人の白人が「自分たちにも歌わせてくれ」とやって来るのだが、幼馴染でスタックの元恋人であるメアリー(画像右から2人目)以外の白人は入場することができずに門前払いにされてしまう。

この3人が実はヴァンパイアだった。
ヴァンパイアたちはその場所の主に招き入れられないと、そのエリアに立ち入ることができない掟に縛られており、強引に屋内に入っては来ない。
ヴァンパイアたちはそうとは知らずに屋外に出てしまった黒人たちを次々に感染させ、ダンスホールを完全に包囲してしまう。
そうしてジューク・ジョイントの長い夜がはじまる・・・
と、サクッと筋書きを書くと1996年公開のロバート・ロドリゲスが監督した『フロムダスク・ティル・ドーン』を思い起こす方もいるかもしれないが、今作を監督したライアン・クーグラーも同作に影響を受けたと告白している。
クーグラー監督は他にも、1982年公開のジョン・カーペンター監督の傑作SFホラー『遊星からの物体X』からの影響も挙げている。
と、この2作品の名前を挙げれば、分かる人にはこの『罪人たち』の、クールでいて思いっきりダークな映像の方向性が即座に思い浮かぶことだろう。
そうした演出手法の巧みさに加え、前半に配置されている舞台のアウトラインを観る者に丁寧に紐解くレトリックが抜群に美しい。
何より力がすべてのものごとを支配するアメリカ。
双子の兄弟の性格の違いや、この土地とのつながりに、ここに残して来た兄弟の無念と希望。
そして、人種隔離政策が「ジム・クロウ法」として制定されており、1870年代に一度は姿を消した白人至上主義結社、KKK(クー・クラックス・クラン)も1920年に復活していた、アメリカ南部で多くの黒人たちが強い迫害に遭っていた時代であること。
そして、物語の中で「時空を超えて同胞とつながれる」と説明される、この時代のブラック・コミュニティにとって、大切な音楽であり、それを超える彼らの誇りでもあった「ブルース」のこと。
特にブルースに関しての描写は重厚に描かれていて、ちょっとしたギターの弾き語りのシーンを含めて、楽曲の演奏シーンのすべてがミュージカル作品のレベルに達していました。
そうした丁寧なレトリックの積み重ねによって、たとえ犯罪を犯すことなく一見普通に暮らしているように見える人であっても、あきらめや、無関心といった何がしかの原罪を背負っている“つみびと”であるということを、観る者に気づかせるように仕掛けられている。
そうした重厚でいて丁寧な時代のアウトラインに触れさせた後に、来店していた者のほとんどが感染してしまう多勢に無勢の状況で、ヴァンパイアたちとの壮絶な死闘となるサバイバル・ホラーが幕を開けるのだから、前半と後半のコントラストの強さには正直かなり驚かされる。
これも例によって私の勝手な見立てでありますが、ホラーというエンタメ素材を利用して、多くの観客にBlack Lives Matterの掛け声を再び浴びせること、ムーブメントを風化させないことを目指して作られているように思えた。
(ひょっとすると、黒人たちの方にも迫害を受ける原因があったことを暗に示唆しているのかも)
特にラストに配置されている、陽が上り太陽光に弱いヴァンパイアたちとの闘いに決着が着いたあとにはじまる、彼らにとって重要な別の戦いのシーンがそれを象徴している。
その結果、今作は全米興行ランキング2週連続No.1を獲得。 フランチャイズ作品(ディスニーやアメコミ作品など、ブランドやシリーズに基づいて展開される複数の関連作品のこと)ではないオリジナル作品として、この10年間で最高のオープニング成績を樹立する異例の大ヒットとなっている。
「日本では劇場公開はされないかもしれない」とも心配されていた今作ですが、それもあって上映館数はとても少ない。興味ある方はお近くの上映館に急ぐべし!
(オススメ度:80)
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