猿の惑星:キングダム

なぜ地球が猿に支配されてしまうのか、1968年公開のオリジナル『猿の惑星』の前日譚となるのが『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(2011年)。
そして、知性を持った猿と人類の闘いを描いた『猿の惑星:新世紀(ライジング)』(2014年)を経て、いよいよ人間を差し置いて、猿の部族間闘争にまで発展した『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』(2017年)にまで発展。最新作『猿の惑星:キングダム』ではついに人類と猿との立場は完全に入れ替わってしまった地球でのお話。
冒頭申し上げたように、1968年のオリジナル版の前日譚という位置づけなので、地球が完全に猿に支配されてしまう結末はすでに見えているのでありますが、そこまでの物語を細かく刻んで見せるのは、2匹目のドジョウをコスリまくった単なる四番煎じではないのか?とか、意地の悪い私はそんな風に思ってしまう。

とはいえ、3作連続で全米初登場No.1の快挙を記録したシリーズですので、頭の片隅では気になってはいた。
つまり、配信待ち。お盆休みを前に、いよいよDisney+にラインナップされたので早速観ることにした。

そうして、追加料金なしを良いことに、細かいことは横に置いて観てみれば、良くできているな〜と感心させられるわけであります。
特に人間の生身の演技を猿に被せて見せる、最新のモーションキャプチャーの完成度はすでにもの凄いことになっていて、すでにCGだと分かっていてもその事にネガティブな印象は持たせないレベルに達している。
逆にモーションキャプチャーではない完全CGで動く猿たちの映像が悪目立ちしてしまうのは痛し痒しな部分か。

ただ、そうした最先端のCGに慣れてくると、物語の粗が目につきはじめてしまう。
知性を持った猿の始祖であるシーザーも死に、そこから数世代が進んだ地球が舞台。
つまりこれまでの登場猿、登場人物は一掃された完全な新章となるわけなのですが、そのため物語は一旦リセットされる。
まだ猿たちは人間で言うところの原始人的な進化の過程にある存在で、“話せる人間”は主人公の少女を含めて二人だけしか登場しない。
知性を持った人間や人類の遺した遺産がカギを握る内容ではあるものの、人類はすでに地球上から退場してしまっているので、基本的には原始猿の極めてローテクな部族間抗争を軸に物語は進んでいく。
こうなるともうほとんど『ジャングル大帝』(もしくはライオンキング)。
だとか思ってしまうのは私の意地の悪い性格のせいか。

やはり人類あっての“猿の惑星”だということに、観客もウスウス感づきはじめた頃に訪れたポストクレジットシーンで、このシリーズのそもそもの構図に戻す急ハンドルが切られる。
一人だけ悠長に言葉を話す人間がいる時点で「この娘は一体どこから来たのか?」という疑問が残り、ポストクレジットになってやっと「ああここから来たのね」と、伏線が回収されるのですが、それを観るに、まだこのシリーズをつづけるつもりであることが透けて見えてくる。
ただ言ったように、オリジナルと物語を共有している限り、人類が巻き返す未来はないわけなので、私は続編にまったく期待が持てない。というか希望が持てない。
とはいえこのキングダム編は、全米をはじめとした全世界でシリーズ2番目の大ヒットスタートを飾ったようなので、希望のない未来に向かって続編は作られることになりそうだ・・・

(オススメ度:60)

当ブログは、来週より2週間、夏休みをいただきます。
土と雪と:次回の更新は8月26日を予定しております。
それでは皆さま、楽しい夏休みをお過ごしください。

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