TRON : ARES

1982年に公開され、その斬新で奇想天外なアイデアによって映像化された『トロン』に、当時高校生だったへそ曲がり少年は狂喜乱舞したことを今でも覚えている。
まだコンピューターグラフィックなんてものが確立されていない時代に、「ゲームの世界にデジタル化された人間を送り込む」というアイデアを駆使して創作された映像は、いま観ると陳腐に見えてしまうかもしれないが、『2001年宇宙の旅』『スターウォーズ』と並んで、今もなお宝物のような記憶となって残っている。

2010年に『トロン:レガシー』として、続編が公開されるが、この頃にはCGもかなり進歩しており、映像としては大きな飛躍を遂げているものの、それはそれでもう驚きもなくなてしまっていた。
そのことからも分かる通り、観る側の想像力を挟む余地が多く残されている方が、SF作品だとなおのことワクワクさせられるということだ。

そして、2025年。
トロン:アレス』という正当な続編が公開された。
映像的には2010年の時点でそこそこ完成していたので、革新的な映像とはもう言えないが、現実社会にもAIが入り込んできている時代背景によって、今でなければ描けないストーリーによって、トロンという作品の使命とも言うべき「映画体験への新たな挑戦」を、ここでも受け継いでいた。
とはいえ、レガシーの時と同様に『アバター』など、他の高品質なCG作品を観慣れた観衆に“新たな挑戦”を感じさせるには、少々力不足は否めない。

言ったように、デジタル世界に生きた人間が入り込む。というアイデアが、そもそものトロンの主軸になるのですが、3Dプリンターが実用化される時代らしく、いよいよデジタル世界が実社会に現れる状況が物語の中心とされている。
そういえば、レガシーの最後で、デジタル・コードでしかない“ゲームの中のキャラクター”が、デジタル世界に飛び込んだ人間の主人公とともに、現実社会に戻ってくるシーンで幕を閉じており、その時はあまり違和感を感じなかったのですが、今回に関しては違和感バリバリ。
有機体を3Dプリントするという荒唐無稽な荒技に、一旦引っかかってしまうと、最後までその違和感に支配されてしまう。
それが原因かどうかは定かではないが、実際今作の興行収入は振るわなかったそうだ。

さらに、それが人間臭さの塊みたいな俳優であるジャレット・レトだったりするので、余計に「それはあり得ないでしょう」と感じてしまう。
もっと無機質なツルっとした印象の俳優だったら気にならなかったかもしれない。
今の時代、レトのような有名俳優をキャスティングしないと、こうしたリバイバル作品は劇場作品として成立しないんですけど、オリジナルの『トロン』が、当時の無名俳優を起用していることの意味を改めて理解してしまったりもする。

ちなみに、オリジナル版からデジタル世界に入り込む方法を見出した、起業家で発明家の『ケヴィン・フリン』として全3作に出演しているのは、名優ジェフ・ブリッジス。
彼の人間臭さも相当なものだが、元は人間で、デジタル世界に入っていった設定なので筋は通っている。
当時無名だったブリッジスにとっても、トロンは出世作でもあるわけなのだが、まだ御年76歳。オリジナルに出演した時32歳だったことになる。とか、どうでもいいことに関心させられてしまう。

さておき、そういった少年の頃の感動がなければ観ていなかったであろう作品。
観客の多くがあの時のワクワクの再体験を期待したはずだ。
映画作り、っていうか、撮影技術の最先端を行くことが宿命づけられている作品の製作って「技術があたりまえに進化した現代だからこそ難しい」ということを、まるで製作側の人間のように痛感させられてしまった。

(オススメ度:40)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次