カッコ良かった!
文句なしに良かった!
『MAD MAX:怒りのデスロード』にシビレた人ならもう説明不要。
つべこべ言わずに劇場に足を運ぶべし!!!!!!
以上!
と言って終わらせるには、燃えたぎった私のこの気持ちが収まらないのでもう少し書いておく。
女戦士フュリオサの若き日を描いた今作で、なぜ主演をシャーリーズ・セロンからアニャ・テイラー=ジョイに変更したのか?
CGの発達した昨今であれば、48歳のシャーリーズ・セロンに14歳の少女を演じさせるのも不可能なことではない。
シャーリーズ・セロンの続投を望む前作ファンも多かっただろう。
アニャ・テイラー好きを公言している私も、フュリオサを演じるのはシャーリーズ・セロンであって欲しいと思う気持ちの方が勝っていた。
それでも、マッドマックスのオリジンを生み出した鬼才ジョージ・ミラーが「フュリオサの若き日を描くならアニャだ」と言っているのだから、ここは信じるほかない。
そう思って劇場に足を運んだのだが、やはりジョージ・ミラーは、そんな島国の片隅で祈るような気持ちでいたオッサンの期待なんぞ軽く超えていった。
アニャの演じるフュリオサが、いちいちカッコイイのである。
前作でヒーローとなった女戦士は、いよいよ今作でアイコンにまでなっていた。
『怒りのデスロード』での、これまで見たこともないような壮絶でいて美しいカー・アクションシーンに息を呑んだ方も多かったと思う。
そしてそれが、マッドマックス3部作の時には技術的にも予算規模的にも実現できなかった、ジョージ・ミラーの怨念であったことは、旧作からご覧になっていた方なら全員が感じたはずだ。
そんなジョージ・ミラーがやり残したこと。
それが、フュリオサを神々しいまでのイコンとすることだった。
彼の頭の中にだけあった、とにかくカッコイイカット。
復讐を誓った一人の少女がイコンとなって行く様を、まるで写真集でもめくるように繋ぎまくった映画が『フュリオサ』だ。
フュリオサが登場しているワンカット、ワンカットへの、ジョージ・ミラーのこだわり方には、観ている方の心臓がついて行けないほど。
前作ですでに左腕に義手を装着していたフュリオサであったが、中でもその左腕を失うシーンのカッコ良さには鳥肌が立った。
フュリオサのアウトラインはすでに説明不要だ。
それはすでにシャーリーズが前作で済ませている。
というよりも、物語を紡ぐのであればシャーリーズ・セロンが適任だ。
それ故に、物語という背景にフォーカスが行きすぎて、ジョージ・ミラーが本来描きたかったフュリオサという存在へのピントがぼやけてしまうのだろう。
アイコンにまで昇華されるワンカットを完成させるためには、アニャ・テイラー=ジョイである必要があったのだ。
アニャ・テイラー=ジョイだからこそ、ジョージ・ミラーはフュリオサを神格化する美しいワンカットに神経を全集中させることができた。
そういう作品になっていた。
これを観て、前作でマックス役をオリジナルのメル・ギブソンから、トム・ハーディに換えた理由も分かった気がする。物語をリブートさせるというより、撮りたい画に対して、マッドマックスという物語やこれまで辿ってきた歴史が邪魔になることもあるのだろう。
これはもう一度、怒りのデスロードを観ないとならない。
つまりだ。
今作を観るにあたり、前作の予習は必要ない。これを観てから前作を観れば話はキレイにつながるようにわざわざ作られている。
強いて言えば、核戦争なのか、地球温暖化による環境破壊なのか、はたまたその両方によってなのかはさておき、社会システムは完全に崩壊し、荒廃しきった地球の片隅の、暴力によって統治されている地域に暮らすキチガイどもは全員、化石燃料で走るクルマによってヒエラルキーを得ている。そんなとてつもなく偏りながらも、それを荒唐無稽だと切って捨てられないリアリティを持った寓話。だということだけ分かっていれば充分だと思う。
兎にも角にも、フュリオサという“地獄の天使”の姿にとことん酔いしれて欲しいと切に願う。
(オススメ度:99)
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