近ごろ映画でも頻繁に扱われる「マルチバース」という概念。
「多元宇宙論」と訳されるこの概念は、SFを扱うにあたりこれ以上都合の良い設定はないと言える反面、これ以上扱いづらい設定もないとも言えるパンドラの箱だ。
人工知能にしても、遺伝子科学にしても、人類が開けてはいけないパンドラの箱は必ずある。
ただ、「AIが暴走して人類に反旗を翻す」、「複製人間が現れる」といった懸念を遥かに超えて、もしもマルチバースの扉が開かれれば、この世界はいとも簡単に消滅してしまうという、その恐怖の規模には大きな違いがある。
Apple TV+のドラマシリーズ『ダークマター』では、そんな多元宇宙の扉を開くことの危険性に関して、ダイレクトに描いている。
物理学者の夢を捨て、恋人と暮らす平穏な未来を選んだジェイソン。
一人息子もすでにティーンエイジャーとなり、平凡ながらも幸せな家庭を築くことができたジェイソンですが、ある日、暴漢に襲われその場で気を失ってしまう。
目が醒めると、そこは見慣れたいつもの街ながら、すべてが少しずつ違っていた。
何より、最愛の妻はまったくの他人で、息子も存在していなかった・・・
– – – – – – – – – – – – – – 注意※ 以下ネタバレします※注意 – – – – – – – – – – – – – –
ジェイソンを襲った犯人は、別次元からやって来たジェイソンの別の可能性。
つまり、ジェイソン本人。
ジェイソン(2)は、恋人との暮らしを選ばずに物理学の道を邁進していた。
その先でジェイソン(2)は多次元宇宙を行き来できる装置を完成させていた。
その装置を使い、自身の様々な可能性を垣間見てきたジェイソン(2)は、恋人との人生を選んだジェイソン(1)の存在と入れ替わろうとしていたのであった。
元の人生に戻ろうとするジェイソン(1)と、それを阻止しようとするジェイソン(2)の攻防が描かれるのですが、今作がエグいのは多元宇宙を行き来する装置内でも、様々な可能性が拡張していってしまうという点。
ジェイソン(1)は元の人生に戻るまでに様々な自身の可能性に触れていくのですが、どの次元でもジェイソンは一人ずつしか存在していないので、その可能性においてはシンプルなのですが、装置内で可能性が拡張してしまうということは、装置を使って移動するジェイソンが多元化してしまう。
そうして装置内で拡張したジェイソンの可能性(数百人)が全員、愛する家族を求めてジェイソン(1)のいた世界を目指してしまう・・・
最後の2話については事態を理解するのにかなりのCPUが必要となり、ワケが分からなくなるほどのカオス状態。
何をどう考えても決着をつける方法などないように思え、一体どうやって決着をつけるつもりなのか、それを見たくて観続けてしまうという連続ドラマシリーズにとてもマッチした展開でありました。
よくできているな〜〜〜〜と関心しながらも、マルチバースの怖さはしっかりと頭に残る衝撃作であります。
(オススメ度:80)
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