幾度となく再撮影が行われたという噂は耳にしていた。
それは、純粋な出来栄え以前に、『アベンジャーズ:エンドゲーム』以降、迷走が続いているMCUにとって、『アベンジャーズ:ドゥームズデイ(26年5月公開予定)』に向けた舵の切り直しを世に示す重要な役割を担っている。
そして、今作で最大の注目点となるのは、あのキャプテン・アメリカの盾を引き継いだヒーローの、お披露目興行であるという部分。なにせ、あのサノスとサシで渡り合ったキャプテン・アメリカの後任人事だ。製作陣へのプレッシャーが大きくなるのも仕方のないことだ。
MCU=マーベル・シネマティック・ユニバースの次世代を担うはずだったブラックパンサー=ティ・チャラという存在がいてくれたおかげで、MCU製作陣は世代交代という大義名分のもと、安心して初代キャプテン・アメリカ=スティーブ・ロジャースを降ろすことができたのだと思う。
ところが、ティ・チャラを演じていたチャドウィック・ボウズマンの急死によって事態は一変してしまう。
ブラックパンサーあっての新しいキャプテン・アメリカだったはずなので、ファルコン=サム・ウィルソンに次のキャプテンを引き継がせる計画は完全に宙に浮いてしまったように思う。
『ファルコン&ウィンターソルジャー』では、超人血清を打たなかった常人であるサム・ウィルソンに、果たしてキャプテン・アメリカが務まるのか?
という重い責任を描いていたが、結局この『ブレイブ・ニュー・ワールド』でも同じ課題を抱えたままになってしまっており、制作陣にもまだ新たなキャプテン・アメリカ像や、立ち位置が決めきれていないように見える。
ただ、やっぱり超人血清を打ってしまうとか、同じように常人のまま戦ったアイアンマンのアーマースーツを着てしまうとか言った安易な選択に走らなかったことは評価したいと思う。
「スティーブはサムが最強だからキャプテン・アメリカの盾を継承させようとしたんじゃない。それはサムだからだ」というウィンター・ソルジャー=バッキー・バーンズのセリフにあるように、「新しいキャプテン・アメリカは超人ではなく鍛え抜かれた常人である」ことに、はっきりとプライドを持たせたことの意義は大きいと思う。
ザック・スナイダー版:ジャスティス・リーグで描かれたバットマンのように、スーパーパワーを持たないただの人間だからこそ下せる決断、リーダーシップの有り様を示したことは良かったとは思う。
そして、他のスーパーヒーローが助け舟を出すような無粋なこともなかった(ちょっと期待していたが)。
あくまでも今のキャプテン・アメリカにできる最大の努力によって、事態を収拾させたところも良かったと思うのですが、そうと分かった上でも、もはや物足りなさすら感じてしまうのは私だけではないだろう。
個人的にはアベンジャーズ不在の世界で、寄せ集めのワケアリ集団が活躍する『サンダーボルツ*』(5/2公開予定)の方に大きな期待を寄せているので、この“何者でもない”新しいキャプテン・アメリカの立ち位置と地続きとなっているところには共感できる。
次々にパワーアップする強敵が現れることで、迎え撃つアベンジャーズの超人ぶりも比例して強大化してしまうパワーインフレに歯止めが効いていない。その世界線とは一線を画す常人チームの活躍に期待したい。
そうした少々混乱を感じさせるMCUの世界線を考えると、今作は『キャプテン・アメリカ』の続編というよりも、『インクレディブル・ハルク』の続編といった認識を持って観た方が精神衛生上でも正解だ。
といった全体的な話とは全く関係がないのですが、思わず日本人として誇らしく感じてしまうほどにスマートでパワフルなリーダー像を劇中で見せる尾崎総理が登場する。なんとハリソン・フォード演じるロス大統領が、尾崎総理を説得をしに日本までやって来るシーンまである。
つい先日、アメリカの新大統領のご機嫌伺いのためだけに訪米したリアルワールドの日本の総理大臣とのギャップには、すでに悲しみしか感じない・・・
スーパーヒーローでないメンバーの作品が続いた後には『ドゥームズデイ』に直接繋がって行くと言われる7月公開予定の『ファンタスティック4』がスタンバイ。超人でも如何ともできない最強(巨大)ヴィランの登場が予定されているので、再び“超人のパワー・インフレ”は加速してしまうものと思われる。
ここに『XーMEN』まで合流したら一体どうなってしまうのだろう。
これは私の勝手な想像なのですが、もしかするとMCUの製作陣はそうしたパワーインフレに対して、戦うことだけでなく、対話による解決という新たな“超能力”を選択肢に加えたいのかもしれない。
だとすればスーパーパワーを持たないキャプテン・アメリカの存在というのも合点がいく。
というわけで「常人にハルクの相手は無理だろ・・・」というこちらの懸念をどう払拭するのか、どうケリをつけるのか、という疑問に対して、今作でのオチの付け方を「常人だからこそできた勇気」と取るか、ヒーローとして物足りないと感じるのか。観る者がどう判断するのかに今後のMCUの展開がかかっているのかもしれない。
そのリトマス試験紙としての方法を模索しているうちに再撮影が重ねられたとも考えられる。
私はといえば、物足りなさを感じてしまいましたが・・・
(オススメ度:60)
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