ユンヒへ

スーパーヒーロー系アメコミ作品ばかり紹介しているのでソッチ系の人だと思われているかもしれないが、私はこうした滲みる系作品が大好きだ。
小樽を舞台に静かでいて重厚な人間ドラマを描いた韓流作品『ユンヒへ』。
いや、韓流と言うより“東アジア作品”と見る方が適切かもしれないボーダーレスな作品だ。

こういう掘り出し系の名作にはなかなか出会えない。
出会うためには観終わった後に「オレの2時間を返せ」ってなるのを覚悟の上で観る必要がある。
その昔にはレンタルビデオ屋まで行く労力、レンタル料、そして返却に行く徒労感もセットで「返せ」って気持ちになっていたことを考えればたいしたことではないか。
なので空き時間に気軽にチャレンジできるAmazonプライムにはホントに助けられている。

とても仲の良かったユンヒと、高校まで韓国にいたジュン。
両親の離婚を機にジュンは日本人の父と日本に帰国し二人は疎遠になってしまう。

韓国と小樽。
それぞれの人生を歩む二人のあいだには20年の月日が過ぎており、ユンヒは結婚をして娘をもうけていたが、ジュンは一人身のままだった。

20年のあいだ、二人は一切の連絡を断っていたが、ジュンはユンヒへの思いを断ち切れず、投函されない手紙を思い出を紡ぐ日記のようにしたためていた。
手紙は決して投函されることなく、いつもゴミ箱に捨てられてしまうのだが、その一通だけは同居中のジュンの叔母がゴミ箱から拾い上げ、ジュンに黙って投函してしまう。

届いた手紙をユンヒの高校生の娘セボムが盗み見し、ジュンの手紙の中にしたためられた自分の知らない母の姿に強い興味を抱く。セボムは自分に想いを寄せる男友達のギョンスを都合良く巻き込んで、母と旧友を引き合わせるための小樽行きの旅行を画策する———
(シリアスで重めのテーマにあって、セボムとギョンスの醸し出す“軽いノリ”とのコントラストも楽しい)

ただでさえ鈍感な私が何の前情報もなしに観たので、なぜ二人は疎遠になってしまったのか。
なぜ頑ななまでに、後ろめたいほどに再会を拒んできたのか、ほとんどラストまで分からなかった。

それは、二人が“許されない恋人同士”だったから。

実の母親におまえは病気だと言われ、精神科医に診せられるような、多様性なんて概念は微塵もなかった時代。

不幸が連続する人生は、ジュンに別れを告げた自分への「罰」だと思って生きてきたユンヒ。

ユンヒからの返信というかたちでそれがラストシーンで語られるまで、私はそのことに気づけなかった。
その謎の答えがラストシーンで明かされ、恋人を突き放してしまったことを今も気に病んでいるユンヒと、思い出を大切に保存していたジュンの、それまでのそれぞれの人生の意味が一気に理解でき、ラストでやっと再会する二人の姿(韓国語版ポスターにある小樽運河でのシーン)にはかなり込みあげるものがありました。
最近、ホントに涙腺が弱い。

その再会のシーンでのユンヒ役のキム・ヒエの演技にはただただ圧倒された。

「自分のことなどとうに忘れているかもしれない」
「むしろ私のことを憎んでいるかもしれない」
「そのジュンがなぜいま私の目の前にいるのか」
「これはセボムの仕組んだことか、あのイタズラ娘!」
「ジュンはまったく変わっていない」
「ただただ懐かしい」
「でもやっぱり合わせる顔がない」
「どうしよう」
「涙が止まらない」

という思いを、1分ほどの無言の演技の中ですべて魅せてくれる。
「これは本当に演技なのか」という思いと、「演技でしか表せない」と感じる気持ちが同時に去来するもの凄い演技でありました。

そして何より、私は今作で背景となる冬の小樽の景色はもう何度も目にしている。
小樽の寒々としながらもどこか温かみを感じる美しい街並みが、この物語の影の主役でもある。
それもあって物語に没入できたのだと思う。
ああ、すぐにでも北海道に行きたい。

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