落下の解剖学

第96回アカデミー賞で脚本賞を受賞した『落下の解剖学』。
みたい観たいと思っていたのですが劇場公開期間中にはタイミングが合わずじまい。
レンタル配信も開始されたのでそろそろ観ようかというタイミングでAmazonプライムに追加された
これはラッキー。
ヒットしないと早めに配信に回されるのは確かですが、この作品は小規模公開作品なので『ボーは恐れている』のケースとは違って配信開始が早まったことと作品の出来栄えに因果関係はない。ただ、小規模公開作品ゆえに、そもそも万人ウケする作品ではないのでハマるかどうかは観る人次第。

話はそれますが、このポスターのデザインは秀逸だと思う。
タイポグラフィもなかなか良い。
この秀逸なポスターだけで映画好きは観たくなってしまっただろう。
ただ、映画好きのほとんどが、この真っ白い雪原に赤く染められたタイポグラフィを見て『ファーゴ』を思い出したことだろう。

『ファーゴ』とは内容的にもサスペンスという共通項があるので、先入観を持ってしまわないような注意が必要だ。というのも、こちらには『ファーゴ』ような分かりやすいオチがない。
多くの部分の答えを観る者に委ねている。言ってしまえば「丸投げ作品」に属している。
被害者と加害者のどちらに加担するにせよ、すっきりとしたカタルシスは得られない。

良い意味で主演の女性の演技が素人っぽい。なのでリアリティがとても高いのですが、その素人っぽさが逆に演出の意図も一緒にきれいに消し去っており、彼女が犯人なのか、無罪なのかの答えを全身全霊で曖昧にしている。
なので、その曖昧さを味わえるムキにはかなりの良作。

状況証拠しかない事件の裁判は、結局のところ裁判官や陪審員の持つ「イメージ」で結審してしまう。
『落下の解剖学』は、観る者に答えを委ねることで、そうしたことの不条理さ、不可解さを露わにしていると言える。

ただ、その演出意図に気づけるのは観終わってからになる。
どこか俯瞰したように距離感のある演出を観つづけていると、心のどこかでドンデン返しを期待してしまうのですが、映画は何事もなかったかのように微妙なハッピーエンドでブッツリと終わってしまう。そうしてやっと芽生える違和感と対峙してはじめて、果たしてこの裁判の結果が妥当だったのかどうかについての疑念が頭を離れなくなる。
それが作者の意図なのでしょうが、私はそれが少々ウザく感じた。

観終わってもまだ示された事実に対して、自分自身が納得のいかない気分に晒されることを心地よいと感じるか、はたまた私のように、答えは一切開示されないのだから「答えを探すのは時間の無駄」と思うかは人ぞれぞれだと思う。
つまり、作者は観終わった人が不可解に混乱させられることを予め計算していたと考えるのが妥当だろう。
違和感を抱えながら観直せば、冒頭の苛立つような大音響で鳴り響く50セントの「P.I.M.P.」のインストカバーバージョンが歪めて見せる世界観の意味が分かるかもしれない。
と、かなり深めの考察系サスペンス作品であります。

(オススメ度:60)

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