劇場版 チェンソーマン レゼ篇

『チェンソーマン』というコンテンツは、映像作家の感受性や、それによる想像力や制作意欲を刺激するらしい。

派手なアクションシーンやオカルトチックなSF設定など、分かりやすく目を惹くトコロは多いが、まるでそうした部分を目眩しに使う雲を掴むようなストーリー展開は、はっきりと難解。っていうか、もはや“暴走”と言えるレベル。
逆にスカしているようにしか思えないのはアリ・アスターあたりと同類。
コミックを読んでも、残念ながら私にはここまでかき立てられるものはなかったのですが、アニメーションというエンターテイメントのパッケージ化の過程で、その難解な部分がきちんと解凍され、実は人物像の構築に軸足を置いているということがはっきりと浮き彫りにされている。
「こういうことが魅せたかったのね」とか、アニメーションを観て思わされる始末。

この感覚は『ルックバック』にも通じる。

そういえば、チェンソーマンを見たのは、コミックよりもアニメ版の方が先だった。
歳とったな〜〜と、素直に思わされる。完全次世代のコンテンツだ。

「レゼ篇」は、この物語の最悪で、最凶の悪夢である(と、この時点では思われていた)“銃の悪魔”に続く全体像の中にあるひとつのエピソードでしなかいのですが、ここだけをキリ抜く理由のようなものが、映像化によってクッキリと見えてくるし、私のようなオールドタイプの乗り遅れを救済する重要なアイテムであったりもする。

そうしたことに気づくことのできる、そうした感性を共有できるクリエイターたちの高度な共鳴は、この国のエンターテイメント・クリエイティブの可能性をまた一段階引き上げたと言えると思う。

こうした作品がビジネス的にも成功できる土壌が、この国にあることが何より誇らしい。

好きな方は絶対に観ておくべきですが(オススメ度:30)

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