HONDA CB1000F
実際に発売になったモデルをはじめて見ましたが、モーターサイクルショーのときとほとんど変わっていないように見える。
さておき、いま私のSNSでは、何かとCB1000Fが騒々しい。
世間のオートバイ好きのあいだでCB1000Fがかなりの注目を集めているようだ。
モーターサイクルショーの時にも書いたが、とはいえ私としては、『CB1000R』をベースとしたコンセプトモデルの方が忠実にCB750Fのイメージを再現しており、カッコ良かったと思う。
オリジナルに忠実であることを重視するなら、『CB750F』を買えばいいということになるわけなのですが、すでにクラシックの域に入る車輌を所有する苦労を棚上げできる最新機種であるところが魅力なのであります。
私が一番気になるはこのツインスパーフレーム。

『CB1000ホーネット』から受け継いでしまったパイプフレームが、ひょっこりタンクの下から覗いているところ、それを避けるために装着されたニーグリップサポート、そしてその下の巨大なプレート状のピボットフレームの造形が悪目立ちしているように感じる。
ホンダはこれを「ダイヤモンドフレーム」にカテゴライズしておりますが、ここではあえてツインスパーと呼称させていただく。

コンセプトモデルは『CB1000R』をベースにしていたため、『バックボーンフレーム』が採用されており、メインフレームはタンクの内側に隠されている。加えてタンク長も長く採られておりおり、よりオリジナルのセンスを取り込むことができていた。
シングル・ショックアブソーバーであることは同じながら、コンセプトモデルのレーシーな片持ちスイングアームから、コンベンショナルな二股のスイングアームに変更させたかったことがツインスパーフレームに変えた理由ではないだろうが、どうせならツインサスペンションにして欲しかった。

これはなんのためかといえば車体剛性を高めることが第一義であったと推測される。つまり、高性能化を狙ったものだ。
そうしたホンダの意図を象徴するのが、隣に展示されていた9月に行われた「鉄馬 with βTITANIUM 決戦の日」で、宇川徹のライディングによって優勝したモリワキのレーサー仕様。
ホンダは、現在市場で群雄割拠するライバルたちとの差別化点として、レースでも勝てる性能を盛り込んだことを魅力として伝えようとしているのだと思う。
私はそれが余計だとあえて言いたい。考え方があまりに昭和すぎないか。と、昭和のオッサンは思う。
オリジナルCBを彷彿とさせる理由、クラシックな雰囲気を現代技術で甦らせる理由はレースに勝つことじゃないのではないか?
操ることと同じくらい、モーターサイクルを愛でる楽しさ、所有する楽しさを持たせるためではないのか。
峠道での快速仕様なら他にたくさんあるのに。
「鉄馬」ではなく、心から「愛車」と呼べる品質や、手触りにこそこだわって欲しかった。
モビリティとして不完全な存在であるモーターサイクルを、持続可能にするためには、存在意義を文化にまで昇華させないとならない。それを達成するのはレースで勝てる性能だけではない。
もっとモーターサイクリストの人生に寄り添える「特別感」の醸成だと私は信じる。


トカナントカ、ぶつぶつ言う昭和のオッサンの心をもて遊ぶ、魅惑的なカスタムコンセプトが発表された。
PLOTが生み出した、その名も『CB1000-F BOL D’OR 2』。
マフラーやブレーキ周りのパフォーマンスパーツはノーマルのままで済ませるとしても、このカラーリングを踏襲するなら、全塗装、もしくは外装の交換も伴うので、カスタマイズにはそれなりの投資が必要になると思われるが、画像で見る限りかなり魅力的に映る。
リバイバルの極み。
YAMAHA XSR900GP

昨今の国内モーターサイクルの主流となりつつある、そうした狙いドコロは「おっさんホイホイ」と揶揄されているわけですが、ヤマハはというと、カワサキ、ホンダとは違って、あえてレーサーレプリカの構造をこの世界観に当てはめているところが面白い。
つまり、骨格はホンダよりよっぽどレーサー気質に溢れている。
それをあえて「スポーツヘリテージ」というジャンルとしてカテゴライズしているところに、ヤマハの世の情勢を見極めるセンスを感じる。
そんなXSR900GPにインターカラーのモデルを追加して来た。
いかにホンダ好きの私でも明らかにこっちの方が好み。とは思うものの、もう私にセパハンは無理ですが。
KAWASAKI Z900RS CAFE

「おっさんホイホイ」の真打と言ってもいい、カワサキZ900RSにはCAFEが追加された。
前にも書いたけど、近頃の大型オートバイ用品店のパーツコーナーにあるのはZ900RS用のものばかり。
アフターパーツ市場も席巻しており、まさに現在の日本のオートバイ市場を牽引する存在と言っても過言ではない。
宇宙船のようなデザインのモデルが増殖するよりも、たとえおっさんホイホイでも、こっちの方がいいとは思うが、過去の遺産を食い尽くした後の国内市場が果たしてどうなっていくのか。それを考えると背中に冷たいものが滴り落ちる。次の一手こそがオートバイの未来を占う試金石。
ENZO FERRARI


DMC DeLorean

PORSCHE 935

MACLAREN

こういったスーパーカーたちを、シレっと見ることができちゃうところも東京モーターショーっぽいと感じた所以。
前回の電動自動車と人が乗れるドローンばかりが目立ったこととは大きな違い。
まるでクルマの遊園地のような今回のモビリティショーの雰囲気はとても良かったと個人的には思う。
モビリティショーというマクロな枠組みから、すっかり視点がミクロになっている。
やっぱり2年後にはモーターショー名義に戻すべきではなかろうか?
とか、無責任なことを言うと、またクルマ文化の熱の下がるような悪災のごとき出来事に見舞われてしまうやもしれぬ。言動には注意しないと。
と言った具合に、オートバイの市場はとても庶民的な世界観の内側で展開されていて、それが良いか悪いかは別として、自身の人生を投影できる素材に、きちんとなれていると思う。
対して、クルマに夢を描けるのは数千万円を超すような高級車だけになってきている。
しかも、すでに「大衆車」なんていう世界観はないに等しい。
車社会を活性化させるカンフル剤として期待していた『NEWホンダプレリュード』は600万円。
600万円の価値は人それぞれかと思うが、私なら間違いなく『AUDI A5』を選ぶ。
プレリュードに反応する人種なら、それだけ出すなら中古で新車時800万円だった輸入車を中古で買う方が夢があると思うんじゃないのか?とか思ってしまう。それが杞憂であればそれに越したことはないのですが、どうにも多くの国内メーカーの描く夢が中途半端に感じられてしまうのはとても残念だ。
もっとモビリティの未来に夢を見たい。っていうか、夢を描けるモビリティの未来を持続可能にしたい。
まあ「トヨタに任せておけ」って一言で済んでしまうコトかもしれないんですけどネ。

せっかくのモビリティショーなので、モーターサイクルショーと同様に東京ビッグサイトまではR18で行った。
モビリティの未来も大事だけれど、今に限って言えば、ここで得た高揚感は、こうして愛車を愛でるためのエッセンスの一つでしかない。
「新しいクルマいいなあ」「新しいオートバイ欲しいなあ」とは思わずに、「明日サーフィン行きたいなあ」「早くR18に乗りたいなあ」と思うための大型展示会の活用法。


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