物質主義に首までどっぷり浸かっている私にとって、今作で描かれる、もはや生き様と言ってもいいこの男の質素な暮らしぶりには憧れるほかない。
公共便所の清掃員として働く平山は、毎日質素な部屋で目を覚まし、手早く煎餅布団を畳み、仕事の合間に集めた植物に水をやってから、玄関を開けて天気が良ければお天道様に笑顔を送り、自動販売機で同じ缶コーヒーを買ったら車に乗り込み、お気に入りの1960年代の楽曲をカセットで聴きながら、割り当てられた都内の公共便所に行って掃除をする。仕事の合間にはコンパクトフィルムカメラで公園の木々のモノクロ写真を撮り、コンビニのサンドイッチを頬張って昼食を済ませる。
家に帰ったら近くの銭湯に行って、帰りにガード下の一杯飲み屋でチューハイを飲みながら夕食を済ませ、布団の上でもう何度も読み潰したお気に入りの小説を読んで眠る。
たまの休日にはコインランドリーに行き、焼き上がった写真を受け取り、代わりにフィルムを現像に出したら、素敵なママのいるスナックで夕食がてら一杯やって帰る。
ただただそれを繰り返す様子を映し続ける。
そうした繰り返しの中で、いくつかの事件にもならないささやかなことが平山の身に起こるのだが、それらは単なるアクセントでしかなく、物語はただただ淡々と進んでいく。
これほどまでに抑揚のない作品でありながら、描かれる世界観が紡ぐ情報量はあまりに膨大。
そうした単純な繰り返しが、何かを諦めた人生ではなく、とてつもなく豊かな暮らしに魅せる理由は、平山という男の放つ説得力に他ならない。
若い頃の私が観たら、SFに見えたかもしれないこういう生き方も、今の私にはその価値が沁みるように理解できる。
心から憧れる生き方だ。
私は一体何を追いかけているのか?
何に追いかけられているのか?
何かに迷ったらまたこの映画を観ることにしよう。
(オススメ度:80)
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