SHOEI HELMET PARKに行って来た話

今年の4月に茨城県稲敷市にオープンした、SHOEIの歴史や最新技術を体感できる企業ミュージアム『SHOEI HELMET PARK』まで行って来ました。

私はオートバイも好きだが同じくらいヘルメットも好きだ。
お金だけでなく置き場所の問題もあり、オートバイを何台も所有することは叶わないが、ヘルメットならイケる。
頭は一つだけなので、ヘルメットも一つあれば事足りるのですが、帽子に洋服、靴、もっと言えば腕時計のように、季節や気分に合わせてヘルメットも着替えたい。
そうしたときに、フルフェイスにジェット、オフっぽいものからオーセンティックで懐かしさを感じさせるもの。そこに加えられるグラフィックなど、ヘルメットには私の目を惹く要素が山ほどある。

そんな大好きなヘルメットに特化したミュージアムができたというのだから放ってはおけない。
ただ、私のようなヘルメット好きが世の中にどれだけいるのかは、かなり怪しい。
『ホンダコレクションホール』や、ヤマハの『コレクションプラザ』など、オートバイメーカーのミュージアムよりかなりマニアックでニッチなこのヘルメットミュージアムが、果たしてどれだけ長く人々の興味を惹きつけ続けられるのか?と、余計なお世話ながら心配してしまう。

不定休ながら基本的に、金、土、日、月曜日のみの営業となり、火、水、木曜は休館。
まだオープンしたてということで、週末に混雑している様子がSNSなどで多く伝えられていたので、私は月曜日に行って来ました。
同じ敷地内にSHOEIの製造工場のある、要はファクトリーミュージアム。
これまで何かに使われていた建物を流用しているのではなく、ミュージアムのために新たに建てられた施設は、モダンで先進的なイメージ。
ちなみに、2029年にはこの敷地内に新工場も完成するのだそう。SHOEIイケイケです。

SHOIはここをツーリングの拠点にしたいとの考えでオープンしたそうで、ここ以外のSHOEIの生産拠点は岩手にあるのですが、確かに関東勢にとっては岩手ではハードルが高い。
それもあっての茨城に造られたものと思われますが、埼玉在住の私としては茨城は目と鼻の先。いつもサーフィンでお邪魔しているエリアなので、ツーリングと言ってもプチな距離感。
先日行った筑波サーキットにつづき、連続してR18で茨城にやって来たことになるわけですが、海でも道でも、私と茨城の縁は深いのであります。

1階は既存モデルやグッズが並べられ、買い物もできるいわゆるミュージアムショップ。
SHOEIだけとはいえ、全モデル全色揃えられているのでその景色はなかなかに壮観。

直営の『SHOEI Gallery』と、一部のプレミアムショップでのみ予約注文できる注文限定生産の『X-Fifteen Carbon』も、もちろん手にとって見ることができる。

以前見た時はフラットなブラックとされていた、ベンチレーション部に配置されているプラスチックパーツは、カーボン地と馴染むように、わざわざ黒にゴールドのフレークがグラデーションに塗られる手の込んだ仕様にバージョンアップされていた。

Alpinestarsのフルカーボンヘルメット『Supertech R10 Carbon』では、プラスチックパーツは黒のままで、カーボン側にグラデーション塗装を施し、見た目に馴染むように工夫されている。
同じようで全く違う両者の処理方法ですが、どちらも甲乙つけ難いよなあ。なんて、ついついディテールに目が入ってしまうのもミュージアムショップならではとも言える。

とはいえ、やっぱりX-Fifteen Carbonはカッコイイ。
何よりきめ細やかな作業で組み上げられる国産であるところに惹かれてしまう。
スタッフの方に完全受注生産となるX-Fifteen Carbonの納期について聞いてみると、サイズによって変わるらしいが、概ね4〜5ヶ月待ちとのことでした。1年待ちとの噂だったので「思ったよりも早く手に入るんだな」とも思えるものの、いますぐ予約を入れても手に入るのは11月。
私はそのまま持ち帰れるモノには滅法弱いが、サーフボードでもスノーボードでも、予約注文だと諦められる特異体質なので、そう言った展開はとても助かる。
でもX-Fifteen Carbonはカッコイイなあ・・・

2階がミュージアム。

今は亡き加藤大治郎と、“Norick”こと阿部典史のヘルメットとスーツ。
大治郎は26歳。ノリックは32歳でその生涯に幕を閉じた。

通算9度のワールドチャンピオンを獲得した“生きる伝説”バレンティーノ・ロッシは、15歳の時に世界2輪ロードレース日本グランプリ500ccクラスにワイルドカード参戦し、最終ラップでリタイアするまで、世界王者たちを相手にトップ争いを展開した、当時18歳だったノリックに憧れて2輪ロードレースを目指すことになったという逸話がある。しかもロッシは地元のイタリアで、自らを典史にかけた“ロッシフミ”と名乗り、ノリックのトレードマークでもあった長髪まで真似ていたのだそう。
そして、加藤大治郎は、世界グランプリの最高峰クラス(500cc〜MotoGP)において、すでに絶対王者となっていたロッシに、まだMotoGPに上がってもいないタイミングで最大のライバルとして公に警戒されていたことは広く知られている。
もしもこの二人が生きていたら、日本の2輪モータースポーツの歴史は大きく変わっていただろう・・・とか、ついついこの展示を見ながら、過去と未来に思いを馳せてしまうのは私だけではあるまい。

日本出身の世界グランプリライダーの草分けと言っていい片山敬済のレプリカヘルメットも展示されていた。
1977年に350ccクラスに於いて、日本出身のライダーとしてはじめて世界グランプリ年間チャンピオンを獲得したレジェンド中のレジェンド。

世界グランプリの最高峰クラスであった500ccクラスと言えば、軽量でハイパワーな2ストロークエンジン搭載のマシンで争われておりましたが、レギュレーションには4ストロークが禁止とはどこにも記載されてはいなかった。
そこで、へそ曲がりなエンジン屋のホンダは当時、最高峰クラスへの復帰に際して、なんと、かつて他の誰も思いつかなかった楕円ピストンを採用した4ストロークエンジンを開発。それを搭載した『NR500』を引っ提げてグランプリに戻って来た。
その時にNR500を駆ったのが他ならぬ片山敬済。

話は逸れますが、このページの一番上の画像には、このNR500を楕円ピストンを含めて市販化した、総生産台数は322台という超貴重な『NR750』が写り込んでいることに気づいた方もいらっしゃるでしょう。
下世話な話ですが、NR750は1992年当時で520万円、現在の価格に換算しても624万円ほど。MotoGP参戦マシン「RC213V」を一般公道で走行可能にした「HONDA RC213V-S」が2,000万円であったことを考えれば、このNR750の価格は超が5つほどつくバーゲンプライスだったことが、今更ながら分かる。
とはいえ、タイムマシンに乗って当時の私に「いいから買っておけ」と伝えに行っても、当時の私にはどうがんばっても頭金すら出せないのでまさに夢のまた夢。
この日来場したお客様のものと思われるが、とても良いものを観させていただきました。
先日の『テイスト・オブ・ツクバ』と合わせて、同好の士が集まりやすい場所というのは、すでに駐輪場から展示が始まる。ありがたや。

話を戻すと、近頃SHOEIはエディ・ローソンやウェイン・レイニー、ワイン・ガードナーなど、80年代に活躍したグランプリライダーのレプリカヘルメットのデザインを、X-Fifteenに転写して多く発売しているが、私としてはこのKATAYAMAレプリカを、あえてオーセンティックな『Glamster』で再販売してくれたら絶対に欲しい。
フレディ・スペンサーやケニー・ロバーツ、平忠彦など、この頃のシンプルに色面構成されたヘルメットデザインの方が私は好み。

KATAYAMAレプリカには、ロスマンズカラーのものもあったりする。
当時、ワークス扱いの数人のライダーだけをスポンサードしていたロスマンズでしたが、それでも片山敬済は他のロスマンズライダーと同じカラーリングでは飽き足らず、当時WECで年間王者に輝いたポルシェ962や、パリダカールで活躍したポルシェ959をはじめとした多くのモータースポーツでスポンサード活動を繰り広げていた、泣く子も黙るロスマンズとの度重なる交渉(説得?それともわがまま?)の果てに、片山にだけ『NS500』の車体とツナギに、白を基調としたスペシャルカラーリングを許したという逸話も残っている。
とはいえ、片山敬済のレプリカヘルメットの再登場の可能性は低そう。

とか思っていたら、オリジナル塗装されたX-FifteenのKATAYAMAレプリカがヤフオクに出品されていて驚いた。
どうやらFacebook内で当の片山氏プロデュースによって受注生産されたもののようだった。私も何着か愛用している『MAX FRITZ』ともコラボしてアパレルアイテムも展開していた。
レプリカヘルメットの存在以上に、そのウェアに身を包んだ現在の片山氏の若々しいお姿を拝見できたことの方が嬉しいデキゴトでありました。

そしておこちらは、1993年のヘレス・サーキットで行われた世界GPスペイングランプリの予選中の事故で他界した若井伸之のレプリカヘルメット。
シンプルがどうのこうのと言った、その舌の根も乾かないうちにいうのも何ですが、私は歴代のSHOEIヘルメットの中では、この若井レプリカが一番好き。
数あるレプリカの中からこうして若井レプリカが展示に選ばれているのはきっと、このデザインが好きだという人が今も多いからだと思う。
これこそX-Fifteenで再販して欲しい。皆様、ぜひともSHOEIに対して若井レプリカ推しの一票を送ってください。

こちらは『Troy Lee Design』の手による、1980年代後半にAMAスーパークロスで活躍していたデイモン・ブラッドショーのレプリカヘルメット。
モーターサイクルレーサーが、サーキットで自らのアイデンティティを一番に魅せるのがヘルメット。
言ったように80年代のレーサーたちが愛用していた、今にしてみればシンプルに映るデザイントレンドを、一気に2世代未来に推し進めたのがデザイナーのトロイ・リー。
先に紹介したノリックのヘルメットもトロイ・リーの手によるもの。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったトロイ・リーが、はじめて日本人のために手がけたのがノリックのヘルメットだったと記憶している。
そのノリックのヘルメットにも採用されている羽のモチーフやフレアパターンなど、それまでのアメリカの文化として根付いていたデザインをモチーフに、派手な色使いを使って巧みに現代的にアレンジして魅せてくれた、まさに現代ヘルメットデザインの魁と言っていい先駆者。もちろんこちらもレジェンド。

こちらは世界グランプリ最高峰クラスMoto GPの現役チャンピオンであるマルク・マルケスの日本グランプリ 茂木ラウンド専用のスペシャルデザイン。その名も「MOTEGI」。
マルケスは毎年、日本グランプリ用に専用デザインを用意しているのですが、一般ユーザーでもマルケスの特別仕様のモデルを手に入れることができる。
達磨とか桜とか、招き猫とか、少々盛り込みすぎで散らかって見えはしますが、日本人の芸の細かさを表現していると思えば許せる。

注目してほしいのは実際に販売されているヘルメットのディテール。
残念ながらマルケス選手用とは違い、このようにプラスチックパーツとの境目の部分のデザインがつながっていない。
匠の技をモチーフにしているのだからこそ、きちんとディテールを完結してほしい。ココはひとつなんとかならんもんかね。と、買う気もないのについついツッコみをいれたくなってしまう。

そして、HELMET PARKの1階には、その名も『HELMET PIZZA』というピザ屋が併設されている。

こうしたレストラン施設は往々にして、社食レベルの“それなり”な感じで済まされることが多いのですが、こちらは国内外のピッツァ職人選手権で数々の受賞歴を誇る、地元茨城県の守谷市にある『IL NESSO』のオーナーである安藤有希氏が監修する本格派ピッツァレストラン。
稲敷産のマッシュルームや蓮根などのとれたて野菜、茨城県産のタコやシラスなどの海産物など、ここ稲敷市産をはじめとした地元の厳選した食材を載せ、特注で制作されたという窯で焼き上げるナポリピッツァなのだそう。
せっかくなので私もいただくことにしたのですが、これがまたなかなかに美味。
毎度言うように、美味しい食事はツーリングの目的地になり得る重要案件。
ここをランチに設定して、さまざまなルートを考えるのも楽しそうだ。

というように、脳みそと胃袋と、両方十分楽しませていただいた。
やはりこうした自分の趣味の歴史を辿れるミュージアムを巡るのはとても楽しい。

これだけ楽しんでおいて手ぶらで帰るのは、いい大人としていささか礼儀に反する。
というのは半分嘘で、夏のツーリングにあると便利だと思い、最初から目をつけていたSHOEIオリジナル扇子をお土産に買って帰ることにした。おじさんはハンディ扇風機とか持てないのであります。
なんと私が買ったものが最後の一つ。
また在庫が補充されるのかもしれませんが、ピザ屋と同様に、SHOEIの職人気質な企業姿勢を顕すこうしたプレミアム商品の選定には力が入れられているようなので、そう多くのロットでは製作されないように思う。
もし見つけたら迷わずお買い上げになられることをお勧めしておく。

言ったように、距離的にはたいしたことないので、そのまま帰るのはもったいない。
同じように近すぎて興味があってもなかなか行けない場所にも行ってみた。
それが霞ヶ浦の南側湖岸に位置する美浦村にある『鹿島海軍航空隊跡』。
第2次大戦時には、主に水上機操縦教育のための施設として、1,000人を超える海軍兵が腕を磨いた場所として知られる場所。
画像の場所は水上飛行機の発着場だった『大山スロープ南発着場』。
現在は水上バイクなどの発着場として利用されているので、なんならそのまま湖に走り込むことも可能。そんなこと誰もしないけど。
このすぐ隣には、艦上カタパルト発進の練習用のカタパルト台座跡もある。
廃墟化した施設などを見学することもできる(有料)のですが、時間がないので外から眺めて済ませることにした。

そしてお次は、またまた『阿見プレミアムアウトレット』とセットで『牛久大仏』にも寄ってみた。
いつ見ても、見渡す世界が歪むほどにこの大仏のスケール感は完全にバグっている。
戦争という後ろめたい歴史の遺構やこうした狂った建造物に、どうしても惹かれてしまう自分がいる。
そうした自分とオートバイに乗る自分は、ほとんど隣り合わせに棲んでいるので、戦争遺構や牛久大仏とオートバイの相性はとても良いのであります。
午後からゆっくり走り出す、思いつきのプチツーリングのルートとして、美味しいピッツァとセットにして、またここにも来るのもオツなものだ。

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