ハウス・オブ・グッチ

ブランドって何なんだろう・・・って、誰しも一度は思ったことがあるはず。
いかにブランド価値を創造するのか?っていうのが私の仕事だったりするので、このリドリー・スコット監督作品『ハウス・オブ・グッチ』の見え方は、みなさんとはちょっと違うかもしれません。

ストーリーは、ほんとよくある血みどろの財産・権力争いなんですけど、この作品がすごいのは実話だということ。
一族の財産や権力に興味のない創業者の孫を色仕掛けで我が物にした女性が、徐々に権力の中心に忍び寄り、いよいよその全てを手中に収めようというタイミングで、夫に裏の顔を知られた挙句に愛想を尽かされ、離縁される前に夫の殺害に及ぶという、これまで作られてきたこのテの作品は、この実際の事件を元ネタにしているんじゃないのか?っていうくらいの、ほとんどテンプレートのような作品。

じゃあつまらなかったのか?というと、それは違う。
私が興味をもったのは「ブランドビジネスの内幕」について。

簡単に言ってしまうと、「看板さえあれば誰にでもビジネスは回せるのか?」という疑問。
その看板が「GUCCI」であれば尚のことで、動かすカネと群がる人々の数は、ただの看板とは天文学的に桁が違ってくる。
もちろんこれほどの看板があれば、誰がやっても右肩上がりに転がりつづけるか、というとそんなはずもなく、親が築いた帝国を、その息子たちが見事に食い潰す様子が今作でも描かれている。
面白いのは、グッチ一族はファッションビジネスには精通していても、真の芸術をビジネスに昇華する能力のある人間がいなかったということ。もしくは、世界が新しい時代へと移り変わっていく、その潮流にブランドを乗せる舵取りがいなかった。といったところか。

この作品では、そうしたファッション帝国の“ほころび”のようなものが顕在化した、ちょうどそのタイミングに、したたかな魔女に目をつけられ、しまいには大きく侵食されていく様子が描かれる。
もしくは、そうした状況だからこそ、魔女の侵入を許してしまった。とも言える。
それにしても、ガガ様演じるパトリツィアの悪女っぷりは頭抜けています。

こうしたグッチ帝国の崩壊を境にして、ファッションの、もっといえばブランド・ビジネスの新しい時代が幕を開けていくわけであります。
今作でも一族のもつ株式を投資ファンドが手に入れ、ブランドを再興するために創業一族は一人残らず追い出され、残されるのはその名前だけ、という創業一族にとっては惨憺たる状況が描かれるのですが、そうしたビジネスのダイナミズムな部分はあっさりと描かれ、全く興味のなかったファッション・ビジネスの世界に、魔女の策略にまんまと乗っかって連れ込まれた挙句に、そのグッチから切り捨てられるマウリツィオ・グッチという人間の悲哀に焦点が当てられてしまっている。

このあと破産状態にまで陥ることになるグッチを見事に復活させた、クリエイティブ・ディレクターのトム・フォードは、今作にも少しばかり登場しており(もちろん代役の役者が)、この作品で描かれる世界のまさに渦中にいた人物。そのトム・フォードが今作について酷評しているのだそう。
主役のレディ・ガガとアダム・ドライバーについては評価しながらも、創業者グッチオ・グッチの息子であるアルド・グッチを演じたアル・パチーノと、息子のパオロ・グッチを演じたジャレッド・レトの演技については「これは茶番なのか、手に汗握る強欲の物語なのか?」と評したと伝えられている。

これは私の勝手な推測ですが、この映画はピエロ役の演出が少々過剰だったということなのだと思う。
実際のアルド・グッチも、パオロ・グッチも、そして、リドリー・スコットがベースにしたと言われるジャーナリストのサラ・ゲイ・フォーデンの書籍でも、二人はあそこまで歪んではいなかったのだろうと思う。
もちろん、あのように描いたほうがエンターテインメントとして充実するのでしょうが、言ったように、私としては「ブランド・ビジネス」の原典としてのグッチ一族の崩落の日々を、リアルに、そして忠実に描いて魅せて欲しかったです。

(オススメ度:50)

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