国宝

『国宝』を観ました。

映画館のチケット売り場に長蛇の列ができていて、いったい何の映画なのかと驚いたことがありましたが、それが『国宝』でした。
へそ曲がりの私は、私の知らないところで人気のあるものには背を向ける傾向があり、『国宝』に関してもその場で距離を置くことに決めた。
もちろんこういったことは初めてではなく、目立ったところでは村上春樹の『ノルウェイの森』のときも、あまりの世間の沸騰ぶりに嫌気がさし、即食わず嫌いを決め込み、実際に「読もう」と決断できるまで4年ほどかかった。
映画の場合は手に取らなければ目に触れることのない書籍とは違い、運が良ければ(?) 契約中の配信サービスで無料で観られてしまうため、場合によってはもっと早く観ることができてしまったりもする。
今回はまさにその典型で、この6月からAmazonプライムで『国宝』が観られるようになった。

というへそ曲がり全開の重箱の隅を突くような感想になりますのでご了承いただきたい。

これだけ話題になる作品ですのでとても良い映画だと思います。
思いますが、大前提として、これはフィクションであるということ。
歌舞伎や人間国宝という、日本文化に深く根付くテーマを題材にしていることと、リアリティの高い演出や舞台設定によって描かれているため、人物は架空であっても、歌舞伎界の実像まで描かれていると思ってはいけない。

ただ、血統が優先される古いしきたりに支配される世界を、良い意味でも悪い意味でも破壊して見せた今作のストーリー展開は、実際に存在する悪しき伝統についても告発しているので、全てが虚像かと言うとそういうことでもない。

私が特に興味を惹かれたのは、のちに人間国宝となる主人公、喜久雄(吉沢亮)がヤクザの組長の息子である部分。のちに息子が演じることになる「散り際」を、ヤクザの親分である実父が、生き様としての「死」を、その息子の目の前で見せる。
歌舞伎興行の興行師、用心棒や問題発生時の後ろ盾としてヤクザが裏方として存在していたことはすでに秘密でも何でもないが、そうしたことにとどまらず、そもそもその成り立ちにおいて、裏社会に属する反社会組織と、歌舞伎界という表社会が、実は表裏一体であることも今作は告発している。

ヤクザ者はなぜ人間国宝になれないのか?
それはすでに考えるまでもない問いかけだが、命懸けで道を極めることに変わりはない。
そして、華やかで優美に見える歌舞伎界もまた、指されては困る後ろ指だらけだ。
その二つの世界に一体どれだけの違いがあるというのか。
歌舞伎や国宝のアウトサイドストーリーという、この国のデリケートな部分に切り込んだその姿勢は賞賛に値する。

任侠の一門に生まれ、その後、歌舞伎の名門に弟子入りを果たす喜久雄は、御曹司で半自動的に「半二郎」の名取を約束された俊介(横浜流星)に対し、己の芸だけで成り上がっていく・・・のではなく、実子のみが家督を継ぐという幻想のような約束事に支配された人たちの偏見や差別意識と戦うために、あらゆる手を講じて自身が背負った運命と戦っていく。
その喜久雄の姿は、まったくもって裏社会のやり方とダブる。

と言った具合に、『国宝』はとても良い視点を持った作品なのですが、冒頭に申し上げたように、事実と虚像の配置の仕方に少々難があるように思う。
多くの反対を押し切って部屋子であった喜久雄に半二郎を継がせた先代の2代目半二郎(渡辺謙)が、指名した途端に亡くなってしまったことで「喜久雄が半二郎の名前を奪った」との噂が広まってしまい、歌舞伎界を追われてしまうくだりが私にはどうにも納得ができなかった。
実子ではなく、部屋子が襲名したら、世間はその人物にこれほどの仕打ちをするだろうか?

そして、表舞台から追われ、ドン底で辛酸を舐めていた喜久雄が、人間国宝の女方である小野川万菊(田中泯)に呼び戻されるあたりのくだりも理由もまた、追われた理由と同様に私にはよく分からなかった。
要は、頂も底も知ることとなった喜久雄が、そうした人生経験を芸の肥やしとして、稀代の歌舞伎役者になっていく様を描きたかったのだろうと思うが、起承転結の「転」の部分が何やら急ぎすぎていて、起承〜結となっているように感じ、何か物足りない気持ちになる。

特に、喜久雄が道具のように使い捨てた人々(多くは女性)の、機微のようなものが、妾の娘以外は一才描かれていないことに物足りなさを感じてしまう。
中でも、喜久雄の少年期からの恋人で、その後御曹司の俊介と駆け落ちした福田春江(高畑充希)の複雑な心中について、もっと描いて見せてもらいたかった。

「転」の部分が欠落していることで、大事なフィナーレの部分の感動も半減してしまう。
人間国宝になった喜久雄にインタビューする雑誌クルーのスチールカメラマンとして、再び喜久雄の前に現れた妾の娘(瀧内公美)の一言が、踏み台にされた人々の気持ちを代弁しているかの如き、あまりに都合の良い解釈には納得がいかなかった。
「これほどまでに美しい演技を見せられたら、もう過去は水に流して黙るほかない」とでも言いたいのでしょうが、少なくとも私には、映像や演出からそうした感慨を受けることはなかった。

そうした部分まできっちりと描き切ると、すでに3時間に及ぶ今作は4時間以上になってしまうのだろう。
もしかするとそうした完全版が存在するのかもしれない。
あるのならぜひ観てみたい。って、それなら原作を読めってことですかね。

(オススメ度:今作に関しては、すでに言うまでもないですね)

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